雨が降っていた。
シトシトと五月雨のように降る雨の、その小さな雨滴が木々を、草花を、空気をゆっくりと湿らせてゆく。
暗闇の中、一条の光が森を照らす。
街灯一つ無い、車が一台やっと通れるほどの細い小道。
停車した車のヘッドライトの中に、泥の上で絡み合う二つの影があった。
細く、髪の長い―――恐らくは女であろう人影の上に、長身だが線の細い、だが男性的なシルエットの影が覆い被さり、しきりに腰を動かしている。何をしているかは一目瞭然だった。
男の物を突き入れられている女の表情は苦悶に歪み、それに対して男は、狂気を孕んだように醜く歪んだ笑みを浮かべている。
「オラ、何だこのガバガバなマ○コは?もっとしっかりと締め付けろよっ」
「ひ……ぐぅ……げぅっ……」
男の細く華奢な指が、意外なほどの強さで女の首に深く食い込む。呼吸を妨げられた事により女の全身の筋肉は極度の緊張で収縮し、結果、男の肉棒を胎内で締め付ける形となった。
「はははっ、やれば出来るじゃないか。随分と締まりが良くなったぞ?」
「ぐ……ぐ、る……じ……だ……ずげっ……」
男は躊躇せず、女の細い首に食い込ませた指にさらに力を加える。
「まだまだ。そぉら、どんどん締まってくるぞぉ……くくっ」
女は何も応えない。いや、声を出せない。酸素を欲して口を大きく開くも、喉は男の手によって完全に塞がれ、その手を引き剥がそうにも腕力差は如何ともしがたかった。結局は男の腕に傷を付ける程度の抵抗しかならない。
その間にも女の顔は見る見る紫色に染まり、首は今にも折れそうなほど、ミシミシと軋んだ音を立てる。
「いいぞ、いいぞ。……くっ、そろそろ……だっ……」
絶頂が近づくのを感じた男は、女の身体に激しく腰を打ち付ける。
「そら、そらっ!出すぞっ!!」
一気に昂ぶり、限界に達した怒張から白濁液が放出されると同時に、女の身体がビクビクと大きく痙攣し、それっきり動かなくなった。確認するまでも無く、既に呼吸は止まっている。
「ふはっ、はっ、はっ……そうか、逝くほど良かったか?……は、ははっ」
息絶えた女の胎内に精液を残らず注ぎ込んでから漸く怒張を引き抜くと、乱れた服装を素早く整え、車のトランクから取り出したスコップを担ぎ、死体を引きずって森の奥へと入る。そして適当な場所を見つけるとその周囲の土を掘り返し始めた。
湿り気を帯びた土は重く、いかにも重労働であるその作業を、だが男は手慣れた様子で進め、僅かな時間で人一人が丁度収まるぐらいの穴を掘り終える。そしてその穴に女の身体を無造作に放り込み、今し方掘り起こした土を被せて埋め、しっかりと踏み固める。
この間、僅か二十分足らず。あまりにも手際の良い作業だった。
「……っふぅ、随分汚れたな。帰ったらシャワーでも浴びないと」
一人呟き、スコップを担いで車に戻ろうとした男の足が何かに躓き、バランスを崩す。
「うお!?」
男の体が水溜まりの上に倒れ込み、派手な水音を立てる。雨でぬかるみ足場が悪いが、決して滑ったのでは無い。確かに、何かに躓いた―――いや、何かに足首を掴まれたような、異様な感触。
何事かと思い自分の足元を見た男の目に映ったのは、自分の足首をしっかりと掴んだ、女の手。土気色をした女の腕が、まるで地面から生えるように突き出していた。
そんな、馬鹿な。
それは確かに、今、つい先刻。自分が犯し、殺して埋めた、女の腕。
唖然とする男を嘲笑うかのように、もぞりと土が盛り上がり、その下から、やはり土気色の女の顔が覗く。その、周囲の闇よりもさらに深く暗い眼窩が男の姿を捉え、血の気を失った唇がゆっくりと、地獄の底から響くような怨嗟の声を発する。
『ゆ……る……さ、ない……ゆる、さ……ない……』
土の中から這いずり出た女の上半身が、男の両足に縋り付く。その、あまりに現実離れした光景に男の脳は完全に思考停止し、逃げる事すら出来ない。
『絶対に……許さないっ……殺して、やるうぅぅぅぅぅっ!!』
「…………うああぁぁぁっ!?」
絶叫と共に加納はベッドから跳ね起きた。全身にびっしょりと汗をかき、寝間着代わりに着ていたシャツが肌にべっとりと張り付いている。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
心臓が早鐘のようにドクドクと鳴り、呼吸が落ち着かない。そればかりか、胸が締め付けられるような嫌な痛みまで感じる。が、やがて自分の状況を確認すると、それと共に落ち着きを取り戻していく。
「……夢、か……なんて……夢だ」
ガタガタと窓が揺れる。外を見ると、いつの間にか嵐のようになっていた。時計の針は丁度夜中の2時を回ったところだ。まだ朝には程遠いが、寝直そうにもこの格好で寝る訳には行かない。
加納は汗で濡れた体を洗い流そうと浴室へ向かった。
シャワーを浴びながら、加納は先ほどの夢の内容を思い起こす。一体、あの夢は何だったのか。
今まであんな夢を見たことは一度たりとも無かった。もしかしたら、自分は疲れているのだろうか―――疲れる?好きな絵を描き、金に困る事も無く、愛しい娘と暮らすこの生活で、一体何に疲れると言うのか。
それとも、心の何処かに罪の意識が―――
いや、それは無い。自分の望む物を手に入れる為に娘以外の全てを切り捨てて来たのだ、今さら罪悪感など感じるはずも無い。―――ならば、何故?
考えがまとまらないままの加納は、シャワーを終えると手早く着替えて廊下へと出る。
外の嵐はますます酷くなっているようで、窓が強風を受けてガタガタと鳴り続け、雲間に何度も稲光が走っては、その度に暗い廊下が一瞬だけ雷光に照らし出される。
その一瞬の光の中に、白い影が浮かぶ。
「……だ、誰だ!?」
悪夢の余韻から醒めやらぬ加納は、思わず身構える。が、返ってきた声は普段聞き慣れた少女のモノだった。
「パパ……」
廊下の影から、クマのヌイグルミを抱えた寝間着姿の少女が姿を現す。肩口で切り揃えられたストレートの黒髪が揺れ、前髪の下の大きな目が涙で潤み、こちらを見つめている。
「どうしたんだい?夏生」
自然に口から、これ以上無いと言うほど優しい声音が洩れる。我ながら親馬鹿だとも思うが、娘が可愛いのは仕方が無い。今年で10歳になる娘の夏生は生まれつき病弱で、小学校にも満足に通った事も無く人生の大半を病室で過ごす生活を送っていた。この地に移り住んだのは、そんな娘の療養の為でもある。過保護にならない方がおかしいと言えるだろう。
「あのね、パパ。なつき、怖い夢を見たの……」
「はは、それで、一人で眠れなくなったのかい?」
コクリ、と声を出さずに肯く。
「一人で寝るのは、暗くて、怖くて、寂しいの……だから、パパ……」
一瞬の違和感。
いつもの夏生なら、こんな時はすぐさま飛びついて来るはずだが、今日に限っては潤んだ瞳でこちらを見ているばかりだ。
「ほ、ほら夏生。こっちにおいで。パパが一緒に寝てあげるから……」
だが娘は動かない。雷光に照らし出された娘の顔に、笑みが浮かんでいるように見えたのは気のせいだろうか?娘の背後の闇に、長い黒髪が見えたような気がしたが、単なる錯覚だろうか?
「……ここは暗くて、寒くて、苦しくて……だから、ねぇ……」
瞬間、娘の表情が豹変する。目が釣り上がり、口が裂け、髪の毛が逆立ったその顔は、さながら般若。その今にも牙が生えそうな口から、怨嗟の声が発せられる。そう、それは夢で聴いた、あの声。
『お前も!お前もこの苦しみを味わうがいいっ!!』
娘が血走った眼で加納を睨み付けると、突然凄まじい力で突き飛ばされたように体が後ろに吹っ飛び、廊下の壁に叩きつけられる。目に見えない力が重圧となって全身に圧し掛かり、さらには、見えない手のようなものが強烈な力で加納の首を締め上げる。
「ぐぁ……あっ……や、止め……」
『くはははははっ!苦しいか?苦しいだろう?ふははっ!お前の愛する娘の手に掛かって死ぬがいい!!』
狂ったように笑う娘の前で、加納の首はジワジワと締まり続け、顔からは血の気が引いてゆく。
意識が遠のきかけた、その時。
ガシャン!
窓ガラスが割れる音と共に、黒い影が室内に飛び込んできた。飛び込んだ勢いのまま床を転がり、水と泥を撒き散らしながら立ち上がった黒衣の男は、昼間に金の代理人を名乗った男だった。
「大分、急ぎのようだったから窓から失礼させて貰ったぜ」
吹き込む風を受けてはためく黒い衣を纏い、稲光を背にして不敵に笑うその姿は、さながら死神の如く。
その様子には流石に、今まで加納を嘲笑していた娘も唖然として動きが止まる。
「お楽しみのところを邪魔して悪いが、今、この男に死なれると困るんでな」
男の言葉に娘が我に返り、怒声を張り上げる。
『馬鹿な、貴様!人間如きが我らの邪魔をすると言うのか?許さんぞ!邪魔をするなら貴様も同じく葬ってくれるわ!!』
だが、怒りに吼える娘とは対照的に男は至って平静で、口元には冷笑すら浮かべている。
「くっ、はっはっは……なかなか笑える冗談だ」
『……何がおかしい!?』
「そりゃ可笑しいさ。たかが憑依霊の分際で、この九鬼様と本気でやり合おうってぇーのかよ?くっくっく……身の程知らずもいいとこだな」
『黙れっ!!』
娘の、いや、娘に取り憑いた霊たちが放つ殺気が九鬼と名乗った男を襲う。まるで宙に縛り付けられたように動きを封じると、首を締め上げて徐々にその力を強めていく。
『はははっ!何だ?口先だけではないか?このままお前も、この男諸共絞め殺してくれる!!』
「念動力か……くく、この程度で……まるで新しい玩具に喜ぶ子供だな」
喉を締め上げられながらも九鬼は、余裕の笑みを浮かべたまま懐から紙切れを取り出す。複雑な文様が書き込まれたその紙は、陰陽道などで用いられる『呪符』と呼ばれる一種の簡易魔法陣だ。
「この程度で、オレに勝てると思ってんのかよ!!」
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