「人間消失?」
九鬼は思わず目の前の女に聞き返した。
そのチャイナドレス姿の女――沙龍は、静かに肯く。
今二人が居る場所は、九鬼の所有する事務所だった。
彼の表の仕事は霊障相談、いわゆる霊媒師である。
霊媒師と言っても決して怪しい仕事ではない。中には悪徳商法まがいの者も居るだろうが、基本的には霊現象(と思い込んでいる)に悩まされている人々の心を癒す、一種のカウンセラーである。
実際に霊、あるいは妖魔が関係している事もあるが、非常にレアなケースだと言えよう。
だが、九鬼が実際にその手の仕事をしているのかと言えば、そうでは無い。
事務所は万年、開店休業状態。あくまで世を忍ぶ仮の姿である。
「資料はここに全部揃っています。目を通しておいて下さい」
沙龍がファイルに閉じた紙の束を差し出す。
九鬼はそれを受け取ると、パラパラとめくりながら
「全部、ねぇ……前みたいに、何か隠してるんじゃねぇのか?」
上目遣いに睨む。
「あんた等も、慈善事業で仕事の斡旋をやってるわけじゃあるまい?裏に何がある?」
「それは貴方が知る必要の無い事です」
間髪入れずに言い放つ。これでは取り付く島もない。
「ちっ……」
仕方が無いので、資料に目を通す。
「衣服など身に着けていた物を残して行方不明……か」
事件現場の写真を見ながら呟く。
そこには、地面に投げ出された被害者の衣服だけが写っていた。
「おそらく人食いタイプの妖魔……だな。いくつか心当たりがある」
そんな九鬼の言葉に、女は何も応えない。
彼の知る限り、この沙龍と言う女は必要以外のことはまったく話さない人間だった。
恐ろしく冷徹で正確な、機械のような女。だからこそ、この女を征服したい、徹底的に壊したいという欲望が心の奥にドス黒く渦巻いていた。
九鬼は、その心の底からの欲求に身を委ねようとして……止めた。今のままでは、
前回の二の舞になるのは目に見えている。
この女が隙を見せる――そんな事があればの話だが――その時まで待たなければならない。
そうして自分の中の衝動を押さえつけると、仕事の話に戻す。
「分かった。で、報酬はいくらだ?」
夜の公園に男が一人立っていた。
薄明かりの中に浮かぶ、漆黒の死神の如き男、九鬼である。
事件の噂が広まっている影響からか、人影はまったくと言って良いほど無かった。
早速、右眼の義眼で妖魔の気配を探ろうとする。が、妖気は公園全体を薄く覆うように漂い、目標の気配を捕らえられない。
「ちっ、厄介だな。人海戦術ってわけにも行かねぇし……」
思案していたその時、風に乗って微かに人の声が聞こえた。
「公園の……中か?」
声のする方向に向かってゆっくりと歩を進める。どこの馬鹿かは知らないが、上手くすれば囮に使える可能性もある。
近づくにつれ、次第に声がはっきりと聞き取れるようになって来た。
「お、おい、大丈夫なのかよ。こんなところで……」
「心配性ねぇ、例の噂のおかげで夜は誰も近づかないから大丈夫よ。……それとも、まさか怖いの?ホラぁ、早くしなさいよ」
「あ、ああ……」
「何よ、まだ勃ってないの?仕方無いわねぇ……」
「うっ、あぁぁぁ……」
同時に、何かをしゃぶるような音が耳に入る。
「オイオイ……」
途中から聞こえてきた会話の内容から、ある程度察しはついていたものの、そのあまりの緊張感の無さに内心呆れ返る。
丁度草むらの陰になっている芝生の上で、半裸の男女が絡み合っていた。
「ほら、勃った……ねぇ?早く頂戴……」
褐色の肌に銀色の髪と言うエキゾチックな配色をした、いかにも『遊んでます』と言った風体の女が、自ら股を開くと男を促す。その男の方はと言うと、整った顔立ちをしているものの見るからに気が弱そうで、完全に女にリードされていた。男は、やや腰が引けた様子ながらも自分の一物を女の秘部に押し当てると一気に突き入れた。
「ふぁ、あっ、入ってくるぅ……」
九鬼の接近にも気付かないほど、二人は行為に夢中になっていた。
「あっ……はぁっ!んあぁぁ、もっと、ねぇ、もっと!!」
女が、声も殺さず喘ぎ声を上げた。
その声のあまりの大きさに驚いた男は、慌てて顔を上げ不安げに周囲を見回と
……九鬼と目が合った。
「っっっっぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
男がまるで漫画のような、情けない悲鳴を上げる。
その声で、やっと女も九鬼の存在に気付いた。
「ちょっと、そこの黒いヤツ!!何、覗いてんのよ!?この変質者!!」
「……テメェらな」
さすがに変質者呼ばわりは我慢ならない。
「……猥褻物陳列罪って言葉、知ってるか?」
「―――っるっさいわね!!覗きのアンタに言われたくないわよ!!!」
「オレはな、デブとババアと、あとガングロには興味ねぇんだよ」
一瞬、言葉の意味を理解出来ずにキョトンとした女だったが、『ガングロ』が自分の事を指していると察すると、怒声を張り上げる。
「失っっっっっっ礼ね!?この肌は地よ、地!!生まれつきなの!あんなのと一緒にしないでよっ!!大体、何その格好?怪しすぎるわよ!!あんたなんて……」
ボトッ
言いかけた女の頭の上に、何かが落ちてきた。
その灰色にヌラヌラと光る粘液状の物体は、瞬く間に女の身体を覆っていく。
「??きゃあぁ!?」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
女と男が同時に悲鳴を上げる。
今までオロオロするだけだった男は、突然の出来事に腰を抜かしそうになりながらも、這うようにして逃げだす。ズボンを上げ忘れているが、それに構う余裕は無いようだ。
「ちょっと、レディーを見捨てて逃げる気!?助けなさいよこの馬鹿っ!!」
女が怒鳴り散らすが、その声は男の耳には届かなかったようだ。意外なほどの素早さで公園外へと逃げ去っていった。
「ほう、なかなか良い逃げっぷりだな」
九鬼は思わず感嘆の声を上げる。
「アンタもっ、何落ち着いてんのよ!!さっさと助けなさいよっ!!!」
「あ?」
「『あ?』じゃ無くて!!」
その間にも、粘液は体内に侵入しようと女の身体を這いまわる。
「ソイツは『灰泥(はいどろ)』って言ってな、女の肉が好物なんだが……」
「……!?」
女が絶句する。
その様子を楽しむように、九鬼は言葉を続ける。
「ソイツを退治するのがオレの仕事なんだが……お前を助ける義理はないよなぁ?」
ニヤニヤと笑いながら、灰泥に飲まれつつある女を眺める。
「う、ぷあっ!?」
口内に侵入しようとした粘液を、もがいて振り払う。
「わたしを見捨てるって言うの?この、人でなしっ!!」
「良く言われる。で?言い残す事はそれだけか?」
「いいから、さっさと助けなさいよっ!!」
殆ど全身を覆われたものの、まだ何とか顔は外に出ている。
「それが人に物を頼む態度か?」
「お、お願いっ、助け……ぐむっ!?」
とうとう、女の口に粘液が入り込んだ。もうあの怒鳴り声も出せまい。
「さぁて、どうするかな?」
言いながら、懐から呪符を取り出した。
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